テトラポッドのある海が当たり前、ではないということ。
近年の女子サッカーに関心を持つ人ならアルガルヴェという地名を聞いたことがあるだろう。ポルトガルにあるこの土地は女子サッカーの国際大会アルガルヴェ・カップが開催される場所で、昨年は日本代表のなでしこジャパンが準優勝。前年6月にワールドカップを制した勢いで国民栄誉賞を受賞し、お茶の間からの高い注目度を保ったままで臨んだのが、ポルトガル最南端地方での戦いだった。
このアルガルヴェ、日本からは非常に遠い。なにせ日本からはポルトガルへの直行便さえない。アルガルヴェの玄関口ファロへは最低2回のトランジットが必要となり、まる1日をかけた移動の末にたどり着く場所は物理的にも心理的にも遠く、やはり現実的な目的地だと言い切ることは難しい。
でも、けれど、美しいビーチ環境が、アルガルヴェにはある。
僕が同地を訪れたのは2009年。カメラマン高橋賢勇と大西洋岸めぐりの旅に出ていた道中だった。日本には聞こえてきづらいヨーロッパの波とサーファーに出会う旅。その過程でアルガルヴェに住むサーファーとつながり、彼の居場所を訪れようとポルトガルへ入国した。
起点のフランス・ビアリッツからアルガルヴェまでは、スペインやポルトガルの所々でストップしながら2週間ほどのドライブ。ようやく出会えたサーファーのダニロ・コスタはシェイプもしていて、レトロ・ムーブメントという自身のブランドを展開していた。その彼が連れて行ってくれたポイント、そこがなんとも素晴らしい環境だったのだ。
ノルウェーのナンバープレートをつけたキャンパー・バンなどが並ぶ駐車場にクルマを止め、小高い丘を越えて海をのぞむと、瞬時に目に入ってきたのは大きな大きな砂浜。天然のベージュ色が美しい、ゴミのないビーチだ。海岸線ははるか彼方まで続き、入り組む入り江は手つかずで、崖という崖はむき出しのまま。背後の山から昇ってくる太陽はとても大きく、小さな波が割れる海を暖色に染め上げていった。ダニロはここで毎日サーフしているという。なんともうらやましい限りだが、果たして日本にこのような光景はあっただろうか。そう思索が巡り、いっそう彼が日々を過ごす環境にうらやましさがこみ上げて来た。
そのような環境を前に、アルガルヴェはポルトガルの地方だから成立する、という意見もあるだろう。海岸近くに住む人は少なく、護岸を整備する必要性は小さいというものだ。おそらく、いくぶんかは正しい。けれど、大半は間違っている。フランス南西部にあるリゾート地のビアリッツから、スペインの各ビーチタウン、ポルトガルのポルトやリスボンへの道の途中で、ガッチリとコンクリートで固めたビーチ環境を目にした記憶がほとんどないからだ。
一方で日本の地方はどうだろう。テトラポッドやヘッドランドのないビーチ環境をどれだけ知っているだろうか。眩い緑の天然芝がそなわったビーチパークはどれほどあるのだろう。今のところの僕は、誰もが気軽に楽しめるビーチ環境で、心を奪われた景色に出会ったことがない。もちろん、ただ知らないだけ、という可能性は否定しない。
この差異は日本と欧州の護岸に対する考えの違いが生み出すのだろうか。それとも向こうの国々の景観学が異様に発達しているのか。ハワイなどでは、打ち寄せる波によって浸食は続くのだから、という考えが海岸線の環境に息づいているとも聞く。それでは日本のビーチ環境は、どのような指針に基づいて形づくられてきたのだろうか。
正確な答えはまだ手にしていない。けれど、政治、経済、理念、過去への畏敬、未来への展望といったあらゆる要素が絡みあって現在の環境は生まれている。そして、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパの各ビーチを見てきて思うのは、ビーチカルチャー先進国と比較した場合、日本のビーチ環境は少数派に部類されるもの、ということである。
日本のサーフィンには半世紀以上の歴史がある。真冬の海でも暖かい日にはサーファーで混雑するまでになった。ファッション的なトレンドだって何度繰り返したことか。もうそろそろ消費だけを楽しむのではなく、自分の技術レベルの向上を目指すだけでもなく、「快適に過ごせるビーチ環境とは?」という視点がごくごく普通になってもいい。日本のサーファーが日常的に目にしている状況は、世界的には決して当たり前の環境ではない、のだから。
小山内 隆