Update:201305.03FriCategory : unknown

アベノミクスとサーフィン

 初夏も間近のある土曜日、千葉北エリアをロケハンのために訪れた。天気は悪く、小雨がぱらつき、北東風が吹き続いていた。オンショアとなる風で波は不良。週末にもかかわらずサーファーの数は少なかった。天候を思えばその状況は驚くようなものではない。異様に感じたのは、海岸線沿いの国道を走るクルマの通り自体がまばらだったことだ。

 人の姿が少ない。おそらくそれが同エリアの素の表情なのだろう。陽気も波も良い時に渋滞さえつくり出すサーファーたちの多くはあくまでビジター。町の文化や歴史をつくる人たちではなかった。

 日本屈指のサーフィン王国とはいえ主たる地場産業は農業。一宮町のキャッチフレーズは“緑と海と太陽のまち”だが、観光地としてのPRが功を奏しているとは思えない。玉前神社の上総十二社祭りには多くの人が訪れるものの、夏の海の家は減少の傾向にある。

 だからアベノミクスのもとに生まれた国土強靭化計画の行方が気になる。特定の産業がない土地にとって公共事業は旨味でしかないためだ。海岸線の景観が美しいと広く認識されている鎌倉でさえ、腰越漁港の環境整備や鎌倉高校駅前交差点の改良事業を目的として、海岸線に手を加えようとする行政主導の計画が生まれてきた。海岸の砂が減少する一方の九十九里浜なら、護岸対策と称して沖合を堤防で繋いでしまおうとする計画が浮上してもおかしくはない。

 思い起こされるのは、もうだいぶ前、別件での取材時に聞いた当時の逗子市長の言葉だ。市長はウインドサーファーの選手として活躍したこともあった。そこで「なぜ多くのサーファーで賑わうスポットが消滅するような計画が生まれるのでしょう」という質問をした。海への理解が高いだろうと思ったからだ。返答は、予想とは違った。

 「サーファーからはそういう意見が多くても、異なる意見を持つサーファーではない人も多いのです」

 予期していたものとは異なる答えに戸惑った覚えがある。けれど、その地域に住む人がサーファーばかりでないと思えば、至極まっとうな返答なのである。

 続けて市長は「意識の高い住民が暮らす地域の市政は非常に難しい。何かを計画すると賛成と反対の声がすぐにあがる。それらを無視して市政をおこなうことはできません」と述べた。海や波を失うことが嫌ならば、行政の振る舞いに無関心を装ってはいけない。どのような街に暮らしたいのかについて、きちんとした意識を持つことが大切だ。今思えば、市政を司る権力者でありながら、海の魅力を知る同じ側の人からのアドバイスだったようにさえ思う。

 国土強靭化計画は海の環境に何をもたらすのか。自分の暮らす街に、サーフするために通う街に、どのような変化が生じるのか。「波がなくなるから嫌」では物事は進まない。何か変化の兆候が見られた時、海があり、波があり、サーフィンがあって、その街に何がもたらされるのかを提示して、サーフィンをしない人たちから理解を得る必要がある。

 実例なら、ある。

 宮城県のサーフスポット・仙台新港に面する向洋海浜公園は、地元のサーファーが行政に働きかけ生まれた場所だ。誕生後、近隣のデイケア施設が散歩コースに取り組み、海を毎日感じられる環境に施設の人たちは喜んでいるという声が県に届けられた。震災後、早くから復旧に着手したことにも、行政、サーファー、住民の関係が良好であることを伺わせる。

 同様の町が全国の津々浦々から聞こえてきた時、日本のビーチ文化は欧米に近づく。国土強靭化計画を逆手にとって利用する。それほどに剛胆な、海の魅力を知る人物の登場が望まれる。

小山内 隆

写真:南カリフォルニアのソルトクリーク海浜公園は住民の声が誕生させた場所。サーファー含め、多くの人の憩いの場になっている。