WORLD EXTREME WAVE への挑戦2
豪雨の中の決意
翌朝、まだ寝ている耳元にザアザアと激しい雨音が届いていた。こんな日のMAUIはどうやって過ごしたらいいのか、とぼんやり考えながら目を覚ましたところへ、真平から連絡が入った。昨日来ることをためらっていた真平と篤が、既にカフルイ空港(MAUIの空港)に到着していた。友子さんに道案内をしてもらい、ピアヒに向かうという二人の話を聞き、正直本気とは思えなかったが、慌てて支度をして車に乗り込み後を追うことにした。ワイパーを全開に動かしても前が見えないほどの土砂降りの雨。こんな日は日本にいても外出を控えるだろう。収まる兆しの見えない雨、とても海に入るようなコンディションではない。抑えきれない気持ちでMAUIに来た2人、手ぶらで帰りたくない、できる限り行動したいという意思がとても感じられたが、とりあえず一度空港の近くのマックで合流しないかと提案した。
長いボードを乗せた黒いセダンのレンタカーと緑のワンボックスがマックに着いた。真平と篤そして友子さんだ。
テーブルを囲んで、昨日正夫が撮影したJAWSの映像を2人に見せたり、前回篤がJAWSに入った時の話しを聞いたりしてしばらくそこに留まっていた。昨日のコンディションを外してしまった後悔と、仕方なく乗ることを諦めたことで解放された緊張感が集まった全員から伝わった。しかも、ピアヒへ行く道は雨が降るとひどい悪路になり、車が動かなくなって大変な思いをしている人がたくさんいるらしい。
しかし、こんな大雨の中で、大きなクリスマスツリーの飾られたマックに朝から集まっている様子はなんだか少し滑稽だった。苦いコーヒーを飲みながら、天気もクリスマスもお構いなしで、目指す今日の波のことだけに夢中になっている、サーファーというのはそんな生き物だ。寛大なる自然のタイミングだけが彼らの予定を決めている。
「とにかく来てくれて本当に嬉しい!そしてまた来てもらいたい!」と、早朝からの突撃ゲストに笑顔で話し、JAWSについての沢山の情報を教えてくれた友子さんに挨拶をして、「行けるところまで行ってみたい。車が行けないようだったらウエットに着替えて歩いて波を見に行きます!」と意気込みをみせる真平と篤に同行した。
あり得ない選択
外は相変わらず雨が降っていた。ピアヒに向かう途中のホキパポイントは、10ft(約3m)くらいはありそうなジャンクコンディションで誰も海にはいなかった。予想通り、サーフィンできそうにない日だ。安心して走れる舗装道から“PIAHI”の標識を左折してポイントまでのオフロードに入っていく。天気の良い時でさえ車が揺さぶられるほどの赤土のでこぼこ道はすっかりぬかるんでいて、何度もタイヤが取られる有り様だ。聞いてはいたものの、とてもひどい状況で、こんな道をドライブするだけで緊張感があった。常にギアを1速にして、ハンドブレーキを使いながら慎重に車を進めていくと、なんとかピアヒを見下ろす崖の上までたどり着くことができた。雨で濁った誰もいない大きな波の姿がそこにはあった。
前日より少しサイズダウンして、うねりのばらついた(この日3つのうねりが入っていた)不完全なJAWSには、前日のグラッシーウエイブで見た賑わいはなく、どんよりと不気味に割れる波の音だけが響いていた。それでも、初めて見るJAWSのブレイクに興奮を隠せない真平は、「感激だ」と思わず言葉をもらしながら目を輝かせ海を観察し始めた。雨が止んでいる合間に、崖を降りて上からでは見えないJAWSの出入り口まで歩いた。ジャングルのような森の中の急な斜面を、木の枝をかき分け、足元を確認しながら10分ほど下ると視界が開け海に着いた。
そこは、ドラム缶ほどの大きさの岩だらけのインサイドで、4ftくらいのショアブレイクがひっきりなしに押し寄せていた。普段は気にならない海に流れ込む小さな川は雨で増水し、茶色く濁って勢いよく海へ流れだしている。とてもゲッティングアウトを想像できるコンディションではなかった。もちろん、海から上がる時にはこのショアブレイクと土臭い川の流れを考慮して上がらなければならないのでかなり危険度が高い。誰も海に入っていないのは当然のことだろう。
地元の人に言わせてみれば、こんな日にそこまでやるだけで十分物好きの行動。
“今回見たJAWSの様子を踏まえて、次の機会へ向けよう”と、ここまでの冒険のつもりだった。しかし二人は、波を目の前にしてしまった真平と篤は、彼らの持つサーフサバイバル本能とも言える『乗りたい』気持ちに火がついてしまったようだった。車に戻り、30分、1時間、、、 波を見つめながら二人が出した決断は「ちょとやってきます!」だった。
真平が望んでいたもの
いい年齢になると結婚を促す親のような調子で「いつになったらJAWSに行くんだ?」と父や周りに言われて続けてきた堀口真平。
彼は、プロサーファーであった父に連れられ、幼い頃から海で過ごし、気が付けばサーフィンをしていた。中学3年で既にハワイ、オアフ島で最も有名なビッグウエイブポイント“ワイメア”の波に乗り、20歳にはプロへ転向、2世サーファーのサラブレットとして若い頃から注目を集める存在だった。波の中でもビッグウエイブやチューブライディングを得意とし、日本国内の波の上がりそうなポイントを常にリサーチして飛んで行く、冬の間は世界のサーファーが集まるハワイ、ノースショアに長期滞在してチャージを繰り返す、そんな生活を続けていた。海や波を中心にした“自然の時計”で行動する彼は、しばしば人間の時計に合わず、周囲を困らせることもあったが、波を読み同調する能力の高さには、人一倍優れていた。
サーファーにとって夢のような生活を送っていた真平だったが、ここ数年、根を張れる場所のない日々に疲れと疑問を感じ、安定を求めて悩んでいるようにも思われた。「誰の為にリスキーな波を求め、何の為にサーフィンを伝え歩いているのか?」ポテンシャルを持つスター選手であるがゆえに、求められるプレッシャーと答えたい使命感、周囲の評価と自分の想い、やってきたプライド、それらが複雑に絡み合い真平の行く先を迷わせていた。
若手選手の魅せる新しいスタイルのサーフィンにメディアの注目が移り始めると、自分の人気に薄い雲がかかってきたことを、繊細な真平は感じずにいられなかっただろう。ナチュラルでキラキラした周囲を虜にする彼の柔らかい笑顔は減り、いつからか鋭さと寂しさが見える表情が多くなっていた。
不安の渕に立っていた真平の下に天使が舞い降りたのは昨年の夏だった。もともと子供が好きな彼は、愛らしい女の子の誕生を心から喜び、積極的に子供の面倒を見る頼もしいパパになった。プレイボーイとして噂も多かった真平の突然の結婚に、彼のプロ活動の“終わり”を囁く声も聞こえてきたが、実際は彼に用意された新しいステージの始まりだったように思う。
『帰る場所』と『守る人』ができたことで、心の安定を取り戻した真平は、子供が生まれたことを機会に1日を有意義に過ごすようになった。家族で過ごす時間を大切にしたことで、短くなった自分の時間も真剣に使うことができるようになった。そこには、調子の良さそうなサーフィンと最高の笑顔があった。
結婚指輪をお守りにMAUIに来た真平。挑戦、不安、夢、恐怖、プレッシャー、プライド、JAWSにたどり着くまで大きく揺さぶられてきた心の迷いを沈め、これから挑む新たな波に静かに標準を合わせた。
リスキーな挑戦
まさかこんな最悪なコンディションでJAWSにチャージする人を見ることになるとは思っていなかった。
ライフジャケットを着けその上からウエットスーツを着る、レンタカーから長くて重いガンボードを下ろし、WAXを塗り終える間に、正夫もカメラの準備を整えた。皆、この無謀とも思える挑戦の一部始終を崖の上から見守る覚悟を決めた。誰もいない危険そうな色をしたピアヒには、もちろんジェットスキーも船もいない。雨の中見物に来る人もまばらなこの場所に、医師免許を持つサーファー亮太が偶然にも同行していた(正夫と一緒にMAUIに来ていた)ことが唯一の“もしも”の時のサポートだった。
友子さんと連絡の付く電話を篤が正夫に預け、エントリーする場所へ二人のサーファーは消えて行った。JAWSは波にたどり着くまでもサバイバルな場所、手ぶらで下りることさえ手子摺る急な斜面を、雨でぬかるんだ中重たいサーフボードを持って歩くだけでも危険だ。そして、その先には恐ろしく重たい大きなショアブレイクとごつごつの岩が立ちはだかる。エントリーする場所の見えない崖の上で、ショアブレイクを越えて沖に二人が出てくることを祈るような気持ちでじっと待っていた。
30分、40分、波のブレイクポイントの左下に真平の姿が見えると、少し遅れて篤がその後ろをパドルしているのが確認できた。2人の無事を目にしたことで、全身を走る緊張感が一瞬途切れ深呼吸することができた。不意に黄色のヘリコプターが現れ、アウトに向かう二人を『こんな日に誰か入っているぞ』とばかりに覗き込んで飛び去って行った。
続く
Rider/堀口真平 藤村篤 Text/角田恵 Photo/TeamM23 Ryota