『超』高齢化社会とサーフィン
サーフィンがオリンピック候補になっている理由に“若者に人気がある”という報道がある。
マスメディアは本当に取材しているのか? とサーフィンのマーケットを久しく見てきている身としては違和感を感じる。
むしろ”若い人たち”は減り、年齢層が上がっているとデータが物語っているし、海でも年を重ねた同年代やそれ以上のサーファーが多いから特段そう感じてきた。
ただそれはサーフィンだけではない現象のようにも見え、ただし、サーフィンは特に顕著にも思える。
理由として、
車を持たなくなってきたこの時代に、車で海まで行かなければならないこと。
ITのスマホやパソコンなどに向かうインドアな人が増えていること。
日焼けすることを嫌がる人が多いこと。
海のような危険な場所に行かない人が多いこと。
でもサーフィンはファッションの側面があるから、雑誌では頻繁に取り上げられる。ここ2〜3年は特に顕著で、夏のサーフ(的)ファッションは、ブームといえるほどだ。
そんな洋服やスタイルの提案としてのサーフィンに人気はあっても、スポーツやアクティビティとしてではないから、実にやこしいのだ。マスメディアはそんなところを勘違いしているのだろうか。
さてそんな折、日本はかねてから高齢化社会を通り過ぎ、『超』高齢化社会に突入しているという報道は久しく繰り広げられている。
総務省のデータによれば日本人の平均年齢は実に46歳。
80歳以上の人口は1,002万人もいて、現在39歳〜42歳つまり昭和46年から49年の第2次ベビーブーム以降、出生数は減り続け、30歳未満の人口が1970年は約5400万人だったのに対し、2013年は約3500万人まで減少している。
『超』高齢化社会において、日本の平均年齢が46歳なのだから、日本国自体に、若者がまず居ない。
そんなホープたちは、たくさんの選択肢の中から興味関心をチョイスする。その中でアウトドアスポーツに目を向けさせることなんて、非常に難易度の高いことでもある。
さてそんなサーフィン。仮にオリンピック競技になったら、自力で難易度の高いプロモーションをやるよりは、人が目を向ける機会としては絶好の機会にはなる。
でも、オリンピックというのは瞬発的なPR効果しかない。サーフィンが側面的なファッション性ではなく、本質的にはスポーツとして、広くはアクティビティとして人口規模が「継続」され、それにたずさわる市場が潤うには、「コンテンツ」としての努力が必要なようである。
これから考えていきたいのは、サーフィンに関わる若者を取り込むコンテンツと、『超』高齢化社会にどう貢献できるかというコンテンツではないだろうか。
つまり一律ではなく、年齢ターゲット別にし、全網羅的に取り込んでいく。
まずは目を引いたりカッコ良かったり、ヒーローがいること。飛んだり跳ねたりとスポーツとしてのスタイリッシュな表現は若年層にはいい。
中高年には、飛んだり跳ねたりなんてことより、海に入ることがどうヘルシーなのか。無理せず、こうすれば運動にも精神にもよく、仮に老人なら海水での健康法はいいよ、といった具体的な提案。
もう1つ考えたいのは地域戦略。
日本は海に囲まれた国。海に接する県はたくさんあって、車社会の地方は車で海に行けるから、都会より余程、親和性は高い。
サーフィンの団体、アソシエーションは、中央からもっと地方に目を向けて、地域が更にコミュニティの中で発展、連携していくように(既に自力でやっている地方団体はあるが)中央中枢の機関こそが、全国的に支援する体制がくめれば良い結果が導けるのではないだろうか。
まさに第2次ベビーブームの現在40歳前後よりちょっと上の世代で、サーフィンブームは起こった。
その時代のサーフィンコンペが全盛期だった頃の子どもたちが、現在ティーンになり、二十歳前後になって、競技としてのサーフィンで活躍を見せはじめている。
いわゆる英才教育的に育った金の卵たち。
サーフィンはとても熱狂的なアクティビティだから、その子供に受け継がれるてくため、なんだかんだと廃れることはないかもしれない。
しかし日本の政策がうまく機能しないかぎり『超』高齢化社会はつづくのだ。
オリンピックは、瞬発的なPRでしかなく「いつまでもかかっている便利な特効薬」でもない。その効き目はすぐに切れてしまうのだ。
冷静にサーフィン市場を活性化させようと思ったら、もうそろそろ、20年前の変わらぬ提案をやめ、ファッション性やクールさだけではない「本質的サーフィン」の素晴しさを日本国民に対し提案をはじめなければならない時期にきていることは間違いない。
Photo by Philip Cotsford