サーフィンがメジャースポーツになる日
これはサーフィンに限った話ではない。
久しぶりにJPSA(日本プロサーフィン連盟)主催のロングボードの試合をネットで見て感動してしまった。
「面白い!」
原稿を書いている私自身は、サーフィン雑誌の編集者時代に、これでもか、と現地でレポートを書いていたし、その後、波情報に携わっていた時代も(晩年はスタッフの皆に任せっきりで会場には足を運べなかったけれど)、ずっとスポンサーをしていたこともあってサーフィンの試合は相当数を見てきた。
そもそも、サーフィン雑誌の編集者になろうと思ったのも、当時の世界戦(WCT)を日本で開催していたころから試合が大好きで、世界トップ選手のライディングを目の前で見れた感動がきっかけだ。
しばらく忙しくて見る機会を失っていたこともあったが、久々に、日本のプロサーキットのお試合観戦に、やっぱりサーフィンの試合は面白いのだ! という自己結論に至った。
でもたぶん、一般のサーフィンを知らない人がこの試合を見たところで、今の状態であれば、興味を持つ可能性は極めて低いと思う。心底面白いと思ったり、「ファン」にまでなることは、(波がスーパービッグなチューブにでもならない限り)残念ながら、ないのだろう、と思う。
でもその理由を、今まで、「サーフィンという競技が主観的ジャッジでもあり、波のサイズとか数多くあるテクニックとか駆引きをちゃんと説明しないからだ、、、、、」とずっと思ってきた。しかし、それは大いなる間違いであると明確に気づいた。むしろスポーツ競技の仕組み、説明は、それ以前の当然のことだ。
その答えは、試合の面白さと同時に、「選手自体」にもっともっとスポットを当てることだ。
スポーツ報道は2種類なくてはならず、1つは事実や結果を伝える「報道」、そして、もう一つは、ヒューマンドラマを描くことだ。
たとえばF1はスコアや数字、古い話になるがアイルトン・セナ、アラン・プロストとの確執、ナイジェル・マンセルともライバルにあり、そのドラマがしっかりと描かれた。フジテレビの演出がうまかったし、雑誌「NUMBER」が感動をしっかりと描いた。
最近のフィギアスケートでは、浅田真央さんは、努力の末に勝ち取ったトップ選手。しかし失敗と成功との紆余曲折が感動を生んだ。失敗がなければ、成功に拍手喝采されることはなかったはずだ。
テニスの錦織圭さんも同様に、松岡修造氏のような、少々大げさすぎる程の名演出家がいて、錦織さんがマイケル・チャンコーチの指導でメンタルで劇的に強くなり、そして、こども時代からの紆余曲折を松岡修造氏が、テレビであれだけ切々と語る。
だから、事実としてのスコアに加えて、ドラマがあるから面白い。
箱根駅伝は、アマチュアの世界での、そんな凝縮版だろうと思う。
「サーフィンの試合は面白い!」
自分がそう感じたのは、各選手の紆余曲折や歴史、バックグラウンドを、多少なりとも知っているからだ。
コンディションが少々悪かろうと、真剣試合の末の勝利は、最後まで見ていれば感動し涙が出る。しかし、一般の人が感動しないのは、その背景を知らないから、ということだ。
選手に歴史あり。
人に歴史あり。
若くたってベテランだって、苦労の末に試合に臨む。そこを描いて、選手像を伝えなければ、人は感情移入できない。
サーフィンには、ドラマが足りない。今はスコア配信や簡易レポートにとどまっているからから、しっかりと、人間を描けばいいのだと思う。
こう言ってはなんだが、大野修聖(マー)選手はもっとも世界に近いといわれた選手だった。ファンは皆、可能性があったから期待していた。しかし、突如JPSAに戻って優勝を総なめにしていったときは、世界に羽ばたくマーを知っていたから皆が注目した。しかし結果として夢は叶わなかったし、日本に戻った時点で、その先の難しさ、無念さに気づいていたからこそ、尚更、胸に詰まる感動があったのではないのか。
だから彼は実力だけではなく、記憶にも残る選手になったのだ。
さて、かなりの確率で実施されるであろう東京オリンピックのサーフィンを盛り上げるためには、(もちろん、オリンピック以外にも常時必要なこととして)、やはりヒーローを排出しなければならない。
どれだけネット中継でスコアリングシステムが発達しようが、ドローンを飛ばしてすごい映像を撮ろうが、結局は、映像を作って配信するものが「人=選手」に対する感動を描けるか。それには、書けるライターやドラマメイクできる演出家が必要だということ。
2020年に感動を呼ばせるには、もう時間はない。
ヒーローの紆余曲折や歴史を、少しずつでも多くの人に伝えていく。それには数年の時間がかかるのだから。