Update:201911.07ThuCategory : BLUERマガジン

サーフィンはスポーツであり遊びだが究極的な「思考停止」であり「スピリット」。 究極の「宇宙」である、という凄い話

サーフィンというのはスポーツでも遊びでもあるが、究極的にはそうでない、という話をしてみたいと思います。

そうでない、とは、究極には「スピリット」であるというお話です。

以前も書いたのですが、まだ説明が足りなかったのでしっかりと伝えてみます。いわゆる「サーファーズスピリット」について。

昨今はスピリチュアルブーム。ご存知ない方が多いかもしれませんが、日本は今、第2次スピリチュアルブームです。

2004年あたりから江原啓之さんが”スピリチュアルという”言葉を日本に広めてからおよそ15年が経過し、当時はもっと霊的だったり実は本家のイギリスの〝スピリチュアリズム”という一つのケンブリッジ大学の学問ですが、時を経て、日本ではもっと大衆化してカジュアルなスピリチュアルブームが到来しています。

そのスピリチュアルに今では「宇宙との統合」のような定義が入ってきて「覚醒」「目覚め」とか「統合」などという言葉が躍っている。

フラワーオブライフのような神聖幾何学が信仰のようになって、これを身に着けたり貼ったりするといいよ、というようなことも含みます。

よくわからない人に説明しますね。

私はサーフィンの哲学的な考え方をする人でもあるので、一方でピリチュアルも研究対象となっています。なぜだか、そのようなお仕事の出会いなどもあったことが影響しているとは思います。

世界的にはYOGAのエシカルな潮流があります。が、しかし日本のこのスピリチュアルブームは、日本の閉塞的社会からの脱却とでもいうのか、加速的にブームとなっている気もします。

持論でしかありませんが第2次世界大戦以降、世界の混沌や荒廃から、豊かさの追求が始まり、国ごとに発展が進み、豊かさ=イコール「物質的社会」それは「権力」「金」「ルール」。この10年で超加速度的なITの進化によって、一方で、画一的から、個人の時代が進み「支配」や「権力」から離れていくような時代スタイルが背中を押した。

歴史の中で必然的に作られた仕組みに比較的、社会の仕組みやサイクルに組み込まれすぎず、直感的な女性が早く気づいた。そんなトレンドではないかと思います。

海外であれば宗教が生活に根付いていますが、ここ日本については宗教色が弱いために行き場の無い人たちがYOGAやキャンプなど自然や解放の傾向に向かった。そしてIT進化で個々人の発信がもっと可能になり、この傾向が起こった。

長くなるので、結論からいうと、そんな人たちには、自然との統合が一番の近道とは考えています。だからキャンプとか自然の中で遊ぶなどは、野性的な本能として正しく向かった。ただ、本来は、究極的には、自我の解放をするならば、サーフィンが一番早いのです。

理由として、物質社会やルールからの解放を目指すなら、脳みそ(思考)を動かす時間を減らすこと。しばりからの解放は、たましい、つまり「スピリット」で生きることです。

サーファーは波との統合に没頭すればするほど、「思考」ではなく「無」にならざるを得ない。

それが「スピリット」。だから、ある種、良き意味でのサーファーは思考を使わない宇宙人が多い。良くも悪くもですが、しかし、人生は誰のためにあるか、といったら、、、結局は、自分のための人生。究極的に「スピリット」に従い生きられるから、サーフィンはベストです。

メロウに、スロウでいいから膨大なるエネルギーの塊である波と一体化するのがいいのですね。

波が小さくてもそれで充分じゃないかなと。私の持論では、下が流動的なエネルギー体だからすごい。波に合わせにいく、これがその統合、を意味するために、ダイビングなどともまた違った世界です。海の中はまた、別次元での凄さがあるとは思っています。

ということで、リマインドすれば、サーフィンはスポーツであり遊びだけれど究極的な「思考停止」であり、たましい「スピリット」。
究極の「宇宙」である、という話です。

ちょっと触れたことがあるのですがジェリーロペスの「禅マインド」がこの話に近いので、このあたりの「禅マインド」を、さらに深堀してみたいと思いますww

WORDS BY Naoko BLUER Tanaka