CALIFORNIA SURF 五十嵐カノアを育んだカリフォルニア
LAX
ストーリーはロサンゼルス国際空港から始まる
LAXから自宅への車中、お父さんお手製のとんかつを頬張る。
「LAXはカリフォルニアで二番目に好きな場所。ここから色んなところに出かけて、ここから家に帰る場所でもあるから」とカノア。カリフォルニアの空の玄関口である巨大なLAX(ロサンゼルス国際空港)にはたくさんのドラマとストーリーが詰まっている。
ヨーロッパでの撮影が延び、予定の日程が過ぎて数日が経っても自宅に戻らなかったカノア。正直やきもきしたが、4日遅れでLAXに到着するとの連絡が入った。当日、父親の勉さんにともなって夕方ハンティントンビーチを出発し、夜のフライトで到着するカノアを迎えに出かけた。
愛車AUDIへのサーフボード取り付けはお手の物。親子であっという間に完了。
LAXは、わずかでも路上駐車をすると、巨体の警備員に移動するようせかされる。しかしさすが、何度となくカノアを迎えている勉さんは、近くのスターバックスで時間をつぶし、ターミナルを出る時間ぴったりにピックアップの場所に到着する。ヘッドホンをして道路沿いで待っていたカノア。巨大なボードケースをふたつ、親子で手分けして慣れた様子でアウディのルーフに固定すると、あっという間にLAXを後にした。LAXを出れば、帰宅ラッシュも終盤に近づいた夜のフリーウェイ。カリフォルニアに戻ったことを実感するいつもの景色が広がる。
HB PIER
カリフォルニアで一番好きな場所 ハンティントンビーチ・ピア
帰国翌朝、楽しい仲間と朝一セッション
青い空と白い砂浜、ビーチ沿いのパームツリーとビーチバレーのコート、そして、海に向かってまっすぐ伸びるピア。ハンティントンビーチは、カリフォルニアのイメージそのままの場所である。カリフォルニアの海岸線には各所にピアがあるが、最も有名なのはハンティントンビーチはだろう。大波で何度も壊れた木製のピアは現在コンクリート製になっているが、その景色は変わらない。
ハンティントンビーチは、古くからサーフタウンとして栄え、かつてはデビッド・ヌヒワがヒーローとして君臨し、80年代のOPプロではトム・カレントとマーク・オキルーポが歴史に残る死闘を演じるなど、さまざまなサーフヒストリーが刻まれててきた。
現在はアメリカ最大のサーフコンテスト、USオープンの会場となっているが、昨年のUSオープンでカノアは優勝を果たした。大観衆の前での地元優勝は大変な盛り上がりとなり、翌日カノアは新聞の一面を飾る。そして、カノアは、地元のヒーローとしての地位を不動のものとした。
カノアの得意技 エアーリバース・ブロウテール
ピアからまっすぐPCHを渡ると、老舗サーフショップのジャックスとHSSが向かい合うメインストリート。ここもすっかりきれいになり、かつての素朴な面影はないが、この町に中心にサーフィンがあることに変わりはない。そしてハンティントンのメインストリートには、いくつものカノアのポスターが飾られている。
帰国の翌朝、カノアはハンティントンにサーフィンに出かけた。年のほとんどを旅で過ごし、地元にいるのは1〜2ヶ月という生活だけに、ここでのサーフィンの機会はすっかり少なくなった。しかしカノアにとって、ハンティントンは今もホームスポットである。
駐車場に入ると、老若男女さまざまな人々から次々と声をかけられる。その一つひとつにていねいに応え、握手をかわすカノア。それにしても、ほんの小さな子供から、おじいちゃん、初心者からカノアのようなCTサーファーまで、ここでは本当にさまざまなタイプの人々がサーフィンを楽しんでいる。コンスタントに波のあるビーチブレイクは、あらゆるサーファーを受け入れるのだろう。
ようやくウェットに着替えてパドルアウトしたたカノアは、さすがに別格のサーフィンを見せた。とにかくスピードが違う。あっという間にセクションを抜け、高さのあるエアをダイナミックに決める。カノアが世界トップのサーファーである事実を、そのサーフィンは明確に表現していた。
老若男女問わず、地元ハンティントンでカノアの人気は抜群だ。おばあちゃんと一緒に、カノアとの写真をおねだり。
AFTER SURF
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