アウトドアスポーツにバリアフリーを! 『フルサークル』によるトークライブが東京・渋谷のパタゴニアストアで開催
不慮の事故からサーフィンやスキーというアウトドアスポーツを諦めざるを得なかった人たちに、笑顔と情熱を取り戻してもらおうと取り組む人たちがいる。NPO法人フルサークルの人たちだ。
日本では、毎年約5千人が交通事故やスポーツ事故で脊髄を損傷しているという。一瞬で人生が変わってしまったことに絶望し、引きこもってしまう人も多い。フルサークルで代表をつとめる小嶋好宏さんも、自身が脊髄に損傷を抱え、引きこもった経験者。そして一度は諦めたサーフィンと雪山の世界へカムバックを果たした人物なのだ。
この小嶋さんを中心として、フルサークルは“アウトドアスポーツをバリアフリーに”というコンセプトを掲げ、安全を第一に各地でイベントを開催してきた。10月25日には渋谷のパタゴニアストアで『諦めずにフィールドへ』と題するトークイベントを開催(PM20:30スタート。定員:70名 要予約 電話:03-5469-2100)。小嶋さんをスピーカーに、取り組みが報告される。※イベント概要お申し込み詳細はコチラ
そのトークイベントを前に、ここでは今年のゴールデンウィークに神奈川県・鵠沼海岸で開催されたサーフイベントの様子をリポートしたい。
「まわりを見るとみなさん笑顔で、自分たちがサーフィンしているわけではないのに、なんでだろうって、すごい不思議な光景でした」
この日、一番のロングライドを決めた桐生寛子さんは初めてのサーフィン体験をそう振り返った。
桐生さんはスノーボードで脊髄を損傷する怪我を負ったことでおへそから下肢にマヒが残っているという。その彼女は通常よりもだいぶ大きなサーフボードにうつぶせで乗り、うねりがブレイクするタイミングに合わせてテールを押し出してもらうことで波と同化していった。何度も何度もテイクオフの疾走感を味わう桐生さんが笑みを浮かべる心境は理解できる。しかし、その彼女の表情を見て周囲でサポートする人たちも屈託のない笑みを見せていた。
サーフィンの楽しさを感じてもらったことの嬉しさ。その気持ちへの共感がサポートする人たちの表情を柔らかくしていたのだろう。だからサーフィン初体験だった桐生さんだけではなく、他の人が波に乗った時にも同様の光景が広がっていた。
桐生さんがゴールデンウィーク最終日に鵠沼海岸を訪れたのは知人に誘われたからだったという。
「わたしはチェアスキーをしているんですけれど、雪山で知り合った方がサーフィンの体験をできる機会を提供していたんです」
桐生さんを誘ったのが小嶋好宏さん。NPO法人フルサークルジャパンの代表理事だ。
小嶋さんは、自身が胸椎を損傷しているサーファー。下半身に障害を持ったことで、長らくサーフィンなどアウトドアスポーツから離れざるを得なかった経験を持つ。しかし仲間たちの後押しがありプレイヤーとして復活。同じ境遇にある人たちに復活の機会を提供したいと、フルサークルジャパンを立ち上げた。
「あなたはもう一生歩けませんと言われたら、絶望するよね。ヒロ(=小嶋さん)もスノーボードで怪我をして、下半身にマヒを持ってしまった。それから10年ほど家にコモってしまい、誘っても出て来なかったんだ。その気持ちの落ち込みようというのは、サーフボードもウェットスーツも処分して、海の近くに住んでいるんだけれどサーファーの姿は視界に入らないようにしていたと言っていたほどだった。でも、ある時の忘年会で『海に入りたいなあ』と言ったから、みんなで『入ろう入ろう』と機会をつくったんだよ。太東に行ってさ、あそこはレギュラーがメインでしょ。でもあいつはグーフィーで、レフトの波に乗ってはいい顔してたんだよ。久々の波乗りの後で『これは俺だけじゃもったいない』と言い出して、同じ境遇にいる人たちにも同様の場をつくりたいと話し始めた。それならばと仲間連中の協力をつのってフルサークルを設立したというわけなんだ」
設立の背景を説明してくれたのは副理事長の藤澤透さんだ。そして、この名前を聞いてピンときた人は、日本のサーフカルチャーに対して相当に造詣が深いと自信を持っていい。藤澤さんはベティーズの中心人物。ベティーズとは、70年代の日本で目白を拠点としてサーフィンに洗練さを与え、日本の若者風俗のなかで光を放ったサーフショップであり、グループだった。
つまり藤澤さんのいう仲間とは、ベティーズにつながりのある人たちを意味する。そのため鵠沼の会場にはそうそうたる顔ぶれが集まっていた。「今日はオフィシャルカメラマンだから」と笑っていたのは巨匠フォトグラファーの横山泰介さんと芝田満之さん。日本のスケートボードを草創期から知るT19スケートボード主宰者の大瀧ヒロシくんは東京から姿を見せ、プロサーファーの勝又正彦さんや宮内謙至くんは自然体で談笑していた。
「サーファーって究極のエゴイストだとは思うよ。自分が良い波に乗れれば最高なんだから。でも、仲間のために力を尽くすというか、仲間意識が強い。それがサーファーだと俺は思うんだよね。まぁ、ビッグウェンツデーを見て育った世代というのも、あるかもしれないけどさ」
藤澤さんが言う通り、仲間意識が強いのはこの日の会場を見ていても明らかだった。必ずしも全員が午前中の開会時に姿を見せていたわけではない。閉会してから現れたベティーズクルーもいる。ただその人のリズムではあったものの、多くが会場に姿は見せた。来場してフルサークルの活動を目にし、藤澤さんや小嶋さんに声をかけていった。年齢も世代もバラバラ。彼らを繋ぎとめているのは、ベティーズというかけがえのない居場所なのである。
サーフィンが好きで、サーフィンを通して大切な仲間と出会ったベティーズクルーは、だからフルサークルを通して、まだ聞こえてこない声にも敏感でいたいという。
「ある意味で、今日ここに来られた人は幸せなんだと思う。かつてのヒロのように家で閉じこもっている人、フルサークルのような機会があることすら知らない人、そういう人は日本にまだまだたくさんいると思うんだ。遠くへ住んでいたら、行きたくても経済的に苦しい人だっている。ヒロから聞いた話では、車イスで出歩くことが恥ずかしいことのように思えた時期もあったというからね。だから、ひとつの到達点としては、できる限り広く、多くの機会を提供していくこと。俺ら自身が実体験を提供できる機会は年間に4回ほどでしかないけれど、たとえばウチを入り口にして、各地のスクールで展開してもらうというような協力体制も視野に入れていきたい。カリフォルニアにはライフ・ロールズ・オン、ハワイにはアクセスサーフという団体が海をバリアフリーとする活動を展開していて社会的認知度も高まっている。このふたつの団体と連携を取ることも短期間の目標だね」
現在の日本では10万人以上が下肢または四肢にマヒを抱えた車イス利用者だという。そして瞬時に人生が変わってしまった人たちに向けて、フルサークルは海だけではなくアウトドアをフィールドとして、サーフ、スノー、スキー、カヌーやスケートという機会の提供を目指す。無理強いすることなく、安全第一に、各々のスポーツを諦めざるを得なかった人たちに、改めて生き甲斐を手にしてもらいたいと考えている。
「初めてのサーフィンですか? もうほんとうに面白かったです。怪我をした時にはもう海には入れないと思っていたし、まさか障害を負ってからサーフィンができるなんて考えてもみませんでした。ボードから落ちると下半身が動かないから大変なんですけど、落ちたら助けてくれるんだろうと思っていたから安心感しかありませんでしたしね。またの機会もぜひ来きたいと思います」
海上がり、晴れわたった表情を見せながらはつらつと言葉を重ねる桐生さんのような存在は関係者にとって心の支えだ。同じような明るい声が響くことへの想像が、強いモチベーションとなるためである。
今後は海での体験を提供する以外にも都内や関西でのスライドショーなどの計画もしている。障害を理由にふさぎ込んいでる人たちと、完全なる輪をつくっていきたいと願い、活動の場を広げていこうと考えている。