Update:201911.22FriCategory : BLUERマガジン

サーフィンは「思考停止」=ジェリー・ロペスの「禅マインド」論

前回、サーフィンは究極の「思考停止」である、という話の、もう少し突っ込んだバージョンを書いてみようと思う。

前回の記事の最後に「ジェリーロペスの「禅マインド」」について書くといったのだけれど、そのあたりのお話。

サーフィンとは「思考停止」である、という書き方をしたのだけれど、もっと分解して書いてみようと思う。

本当はもうちょっと説明が必要なお話でもある。

人間の体は、車でいえば「車体」であって、行動に司令を与えているコントローラーが、脳みそ=「マインド」=思考であって、それとは別にスピリットと呼ばれる存在がある。

人を司るのは「マインド」と「スピリット」で、ややこしいが2つある。

スピリットは、たましい(霊)と昨今ではよくこの漢字があてられる事が多く、ここはいくつか論がありsoul(魂)とも少々違うのだが、簡単には、ただそこにある「(超)素!な存在」みたいなもの、サーファーでいうところの、野生的感覚=バイブスな感性とでもいうべきもの。とある意味、2つに分かれて体の活動がなされている。

少々ややこしいのだが、このマインド=思考は、さらに「顕在化している意識」と「潜在化して潜り込んでいる意識」に分かれているとされ、(もっと深いところに「集合的無意識」というものがあるけど、それは、もう、どこか遠くに置いておく)。

顕在化して表面に出てきているのはたったの約5%であって、残りの約95%は奥底に潜り普段は自覚していない意識となり、生まれて5歳児にもなれば、この潜在意識が幅を利かせるようになり、様々なリスクヘッジ(危ないことを回避するための危機管理意識)が働いてくる。

つまり、簡単に言えば、人間は、与えられたマインド=思考は危ないことにブレーキを掛けたりする素晴らしい司令塔でもあるわけで、しかし、一方、それは「スピリット」を押し込んでしまうほどのパワーがあり、この「スピリット」がうまくワークしていない人にとっては、「マインド」支配されまくることとなり、脳みそがグルグルの状態、で苦しんでしまう、ということ。

なんとも人間とは、良くも悪くも、もの凄い制御が働いているわけだ。

そうそう、もう複雑になってきたが、

サーフィンをすると何がいいのか!といえば、自ずと然るべき(自然)つまり宇宙の中の波というエネルギー体の際たるものの動力やバイブレーションを受けていることで、思考を働かせず、超自然との一体、ただそこにあるスピリットで居ることが可能となる。わかりやすくは「無邪気」になれる行動であること。それを前回、書いた。

そして、ここからが今回の本題になるのだが、以前、ジェリー・ロペス氏に取材させていただいた際に、彼がしきりに重要視していたのは英語では「ZEN MIND-禅マインド」ということだった。

このジェリー・ロペス氏の言う領域は、さらに、強烈に波と一体化するには、いかにマインド(思考)を「禅」の状態にするか、、それをジェリー氏は「禅マインド」という単語を使って当時の取材で語っていた。

「スピリット」とともに「マインド」を”無”にしてしまえ、という言い方になるのかな。

ジェリー・ロペス氏の親友でもある、同じく究極のビッグウェイバーであるレイヤード・ハミルトン氏も、このマインドをいかに無にしていくか、ということを語っていた。

ハワイのビッグウェイバーである両氏にとって、サーフィンは無邪気に遊ぼう、という類(たぐい)の域を超えて、超越した”無”そのもの、とでもいうべきか。

現にジェリーさんは座禅やヨガを仕切りに訓練として取り入れていた。少なくとも当時はそうだった。

前回は、スピリット的生き方をしていくには、サーフィンのような波に乗ろうという行動すらが「スピリット」なる行動だと書いた。

だからサーフィンはいずれにせよ「思考停止」。それは自ずと然るべき「スピリット」であって、今回の追加記事で新たに言いたかったことは、究極には「マインド」をもコントロールし自然にリズムを合わせ”無”になることで、究極に行ける(笑)

というお話。

もうちょっと、うまく説明出来たらよかったけれど。
私たちは、Fanにサーフィンをしていれば、自ずと深く考えない、ということだと思う。

ちなみに、そうそう、、素潜りダイバーの映画「グランブルー」にも描かれた故ジャック・マイヨール氏は、ヨガを仕切りに取り入れていた。これも”無”になり思考を止める作業だろう。

おそらく、、いずれにせよ”無”になっていく思考コントロールというのは、なんらか、極めた人たちがやっていることだと思う。”空”とも言えるだろうと思う。”空”まで行くと、とめどない話になる。

この話はまた。

※追記
ジェリー・ロペス氏は母親が日系3世であり「イタクラ ケン」という日本名を持っている。座禅に造詣が深く日本的が部分がある。そしてジャック・マイヨール氏は日本の血はひいていないが、日本の佐賀県の唐津で海のすばらしさを知り世界的に著名なフリーダイバーとなったが、日本の海と精神世界が、私にとっては実は関連性の深いものなのではないか、と考えている。

そんな話こそ、またいつか。

《前回の記事》
サーフィンはスポーツであり遊びだが、究極的な「思考停止」であり「スピリット」。究極の「宇宙」である、という凄い話。

PHOTO and WORDS by Naoko Tanaka