Update:202205.26ThuCategory : BLUERマガジン

世界ではじめてのサーフトランクス「 KANVAS by KATIN」知られざる物語


Words by Naoko Tanaka,BLUER, Special Thanks Canvas by KATIN

いまでこそ当たり前の存在になっている
サーフトランクスにも始まりの物語がある。
当時のサーファーは皆このサーフトランクスに
夢中だった。
「Kanvas by Katin‐キャンバス・バイ・ケイティン」。
当時のアメリカ、そして日本のサーファーもが夢中だった。
世界でもっとも古いサーフトランクスともいわれるこのブランドには
どんな歴史があったのだろうか。

1つ目のストーリーは、KATINがサーフィンの歴史そのものであるという話だ。

1950年代。
カリフォルニアからビックウェーブに乗るため、当時のパイオニアサーファーがハワイを訪れ始めたころのことだ。ハワイといえば、ノースショアではなくウェストサイドのマカハがサーフィンのフィールドだった時代である。
当時、1948年創業の「テイラー・ニイ」という仕立て屋がトランクスを作ったとも言われるが、時を同じくして、カリフォルニアにはボートカバーメーカーであった「キャンバスバイケイティン-KANVAS by KATIN」が、当時では、カリフォルニアでもほとんど見かけることのなかったサーファーから、海に入っても破れないショーツの製造を依頼されたことが、始まりだったといわれる。その1着をきっかけに製造を開始し、本格的なサーフトランクス・ブランドとしての歴史が始まった。

1960年代に入るとサーフィンはブームとなり、サーフィン産業も同時に拡大して現在に至るが、これらの写真が物語るように、サーフィンカルチャーを作り上げてきたカリフォルニアの地に、この「KATIN」のサーフトランクスが大きく寄与したことは間違いのない事実であった。

しかし80年代に入ると大手サーフブランドが台頭し、あまたのサーフトランクスが量産されるようになった。
大量生産による低価格化が実現し、有名サーファーたちのコマーシャル効果も相まって、KATIN(ケイティン)ブランドはカリフォルニアではその名は残っていくが、ここ日本において、若いサーファーたちへの認知は徐々に薄くなっていったのではないだろうか。

今、あらためてKATINを紹介できることになったのは、このあとに続く「第3のストーリー」と深いかかわりがある。

▼(写真CAPTION)ウォルターとナンシーはキャンバス地でボートカバーを作っていた。この地はカリフォルニアの広大なコーストラインにある栄えたオーシャンタウンであり、ボートも数多く存在していた。そこにひとりの青年が破れないトランクスを作れないかと相談に来たことがすべての始まりだった。

 

 

はじめてのサーフトランクスが生まれた秘話を話そう。KATINの生みの親、ウォルターはティーネイジャーのサーファーから、サーフトランクスの制作を依頼された。ボートカバーのビジネスを営んでいたウォルターとナンシーだったが、サーファーたちは当時、カットオフしたデニムジーンズで海に入っていたが、海から上がるときには糸もほつれてしまい、他にはけるものはないのか、との苦悩を話した。
その苦悩を、ボートの生地で作り上げたのがKATINのボートの帆生地によるサーフトランクスだったのだ。

そして、この依頼をしたティーネイジャーが、コーキー・キャロル。のちのプロフェッショナルサーファーの第1号のひとりである。彼が依頼したサーフトランクスは世界初のいわゆるサーフトランクスとなり、現在でもCORKY TRUNK として、その歴史的な1枚を現代に継承している。

▼(写真CAPTION)KATINの工房に貼られている日本語のヒストリーPaperがある。Kマンと呼ばれる相性のキャラクター。KATINを象徴するアイコンでもある。

 


KATINの歴史は、ひとりの日本人女性の手によって支えられてきたという話だ。

KATINは1954年にナンシーとウォルターという創業者によって製造が開始されたが、その後、1961年に当時、日本から移住し近くの工場で働いていた女性に仕事のサポートを依頼して以降、2018年の今に至るまで、ハンティントンビーチのKATINサーフショップでトランクスをハンドメイドで縫い続けてきた女性がいるのだ。彼女の名前は、SATO HUGGES-サトウ・ヒューズ。
ブランドとしても拡大しているKATINにとっては、現在のプロダクトは創業以降、工場での縫製に代わっているが、SATOの作るカスタムオーダーショーツは、KATIN SURF SHOPで購入することができる。
今年で御年90歳。今では体調のすぐれないことが多く、ビーチ沿いのショップでフルタイムで作業をすることもできなくなってきているという。ナンシーとウォルター亡き今、その歴史を守り続けた女性が、日本人であり、今も彼女がその製品とスピリッツを守り続けていることは、同じ日本人としての誇りである。

1950年、1960年代、1970年代とカリフォルニアではKATINトランクスを皆が愛用していた。当時の写真がその事実を記録している。

写真に映るのは東海岸のサーフレジェンドであるGreg Loehr、Michael Oppenheimer、Regis Jupinko、GaryGermain

このクラシックなスナップショットは、若かりしころのPeter Townend、Steve Jones、Shaun Tomson、Mark Richards、Mark Warren。ハワイ・オフザウォールのサーフスポットでKatinのトランクを着用しリラックスしている。


「最高のサーファーのお気に入りは、今や世界最高のスケートライダーの最初の選択肢。」 と、サーファーだけではなくスケートボーダーにも人気を博していたKATIN.この写真はプロスケートボーダー、ラス・ハウエルをフィーチャーした1960年代のラッド広告。

スラッシャーの殿堂入りに加えて、ラスはスケートボードで最長の逆立ち(2分)と最も360度の逆立ちでギネス世界記録を当時樹立した。

 


そして次のストーリーは「KATIN」を守ってきたのは、ひとつの企業によるモノづくりの熱き精神によるもの、というストーリー。

カリフォルニアはサーフィン産業が発展し、ブランドを所有する企業は資本を投下し、利益を生み出す体制を作る必要がある。企業である以上はキャッシュ重視ともなり、規模が大きくなれば、雇用を生んだり経済圏が拡大するのだから、それ自体は素晴らしいことだ。今のサーフィン産業があるのは大手企業やキャピタルがあってのことだ。

前述のように、なぜ「KATIN」は今の日本では知られぬ存在となったのか。

その答えは、前述のような大企業とならなかった「KATIN」は、コマーシャリズムに乗らなかったからに他ならない。

現在の「KATIN」はSATO HUGGES-サトウ・ヒューズがショップの一部権利を持つ以外は、KATINブランドの現経営は別の人物によって行われている。
それは利益優先で進行する大手企業でも投資家でもなく、カリフォルニアのビーチサイドから少し内陸にあるアパレルの生産工場を30年以上も営む会社の、現オーナーの思いによって守られている。オーナーの名はマックさん。モノづくりにこだわるその精神が、SATO HUGGES-サトウ・ヒューズの今もささえていることだ。
決して企業として大きくなり重要な何かを失うことを望まない精神。今年、KATINは68年目を迎えるが、その精神があるのは、現オーナーであるマックの考え方・功績によるものが大きいのではないだろうか。

サーフィンの歴史とともあるブランド「KATIN」。

世にあふれるサーフトランクスや海パン、短パン。今やどこの量販店でも通販サイトにも大量に安価にあふれる時代、そして、何を選ぶのかは消費者の自由だ。
しかしKATINのトランクスは、それ自体が歴史であり、守り続けてきたスピリットなのである。その歴史をリスペクトして海にのぞむことは、素晴らしい歴史に寄り添うことでもあるのだ。

Photos by Katin & Naoko Tanaka. All Right Reserved.

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KATIN特設ページ

※この記事は2018年の記事をアップデートし最新特集として投稿されました。